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「私の出産」~母から子へ伝えたい言葉~

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はなまるさん 080

育児は育自 20歳の娘にありがとう    
普段は照れくさくて言えないけれど、ずっと思っていること。「あなたがいてくれたからママは強くなれたんだよ!」 
  

 私は2003年7月に第1子となる娘を出産し、その娘は今年20歳になりました。20歳という節目の年を迎えたこと、これまでは先のことばかりを考え、過去を振り返ることがあまりなかったので、これを機会に出産、育児について振り返ってみようと思います。
 
 私は娘を妊娠するまでに、2度流産を経験しました。だから、3度目の妊娠が判明した時はとても嬉しかったのですが、また流産したらどうしようという不安も大きかったです。妊娠初期に仕事を辞め、重い物は持たず、自転車に乗らず、車の運転をせず、栄養満点の食事を心がけて、お腹の中で大事に育ててきました。
 しかし、予定日まであと2週間以上もあるという時の検診で、胎児の心拍が弱くなり、そのまま入院、出産しなくてはいけなくなってしまいました。私は不安で不安で、怖くて仕方がなかったのですが、ここまで無事に育ってくれた赤ちゃんを絶対に無事に産みたいと思い、どんな処置でも、どんなに痛くても頑張ろう決意しました。
 陣痛促進剤を使ってもお産は進まず、丸1日経った頃に、お医者さんがはさみで羊膜を切って破水させると一気にお産が進んで、それから30分程で娘の誕生となりました。
 生まれてすぐの娘と対面した時、それまで生きてきた中で1番嬉しかったのですが、試合に負けたボクサーみたいだな、と思ってしまいました。実際、ボクシングの試合よりも大変な経験をして生まれてきてくれたので、そう見えて当然なのです。
 その後、看護師さんが顔や体を拭いて私の胸の上に乗せてくれた時に見た顔は義父に似ていて、私のお腹の中で育ってきたのになぁと少しおかしく思ったものでした。

 こうして無事に生まれた娘、ミユウとの生活が始まりました。粉ミルクを飲んでくれず、母乳が足りているのかという心配があったものの順調でした。
 ところが、生後4ヶ月の時に夫の転勤で関西から関東へ引っ越すことになり、どちらの実家からも遠くて頼れず、知り合いもいない土地での初めての子育ては不安と緊張の連続でした。夫の帰りも遅く、ワンオペ状態で、私は何事にも自信を持てずに子育てをしていました。
 引越し先に遊びに来てくれた友達には「いつもミユウちゃんに謝ってるよね」と言われてしまいました。確かにミユウが泣くと私は「ごめんね、ごめんねー」と言ってばかりだったのです。これでは駄目だと思い、私は人見知りなのですが、バスに乗って赤ちゃん教室に行ったり、そこで話しかけたりして友達を作ることができました。自分のことだとできなくても、ミユウの為だと思うと力が湧いて、色々と積極的に行動できるようになりました。

 その後、たくさんの思い出ができました。
七五三、幼稚園のお遊戯会、家族旅行、初めて補助輪無しで自転車に乗れた日、クロールで25m泳げた日、妹が生まれた日、小学校の運動会、中学受験、大学受験など数えあげればきりがありません。ミユウがいたからたくさんの経験ができて、いつも不安で臆病だった私はミユウと一緒に成長し、強く、たくましく、そして少し図太くなったのです。

ミユウへ
 もうすぐ成人式だね。ママが成人式に着た振袖を着たいと言ってくれてありがとう。嬉しかったよ。そして、何より20年間大きな病気もせず元気に育ってくれて本当にありがとう‼︎

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