たまちゃんさん 079
ママにしてくれてありがとう
「子供が子供を産む」そんな言葉を投げかけられたのは遠い記憶。あなたのおかげでママになれたよ。ありがとう
2003年9月17日、予定日より1ヶ月前に私はママになった。
高校を卒業して、社会人になった翌年の1月幸四郎を妊娠していることがわかった。
ママになる。なんて実感もなく、そこから会社を退職結婚し専業主婦になった。
一人暮らしもしたことがなく、慣れない家事。初めてパパと暮らし始めたその日誰がご飯作るんだろうなんて思ったりもした。
料理もしたことがないママが初めて作ったご飯は目玉焼き。朝食のような夕食をパパは美味しいって言って食べてくれたよ。
毎日が精一杯、掃除、ご飯を作ることだけでママの脳みそは手一杯。お腹にいる幸四郎が生まれてくることを心待ちにして靴下を手編みしながらゆったり過ごすなんて日々は訪れなかった。
そんなママの気持ちとは裏腹に、日に日に大きくなっていくお腹。初めはポコポコと体の中で気泡が弾けているような感覚の胎動も、気づけばお腹に足の形が浮き出るくらい強い胎動になっていった。
思えばあれは幸四郎が一生懸命、「おーい!俺はここにいるぞ!」ってママに伝えていたのかもしれない。
月一度の検診では、なんだかみんながヒソヒソママの悪口を言ってるように感じた。「随分若いわねぇ」「本当に育てられるのかしら」ってね。親戚が集まる法事では、「子供が子供産むようなもんよ。」なんて言われた。悔しくて悔しくてママは、ずっとこんなに頑張ってるのになんでそんなこと言われなくちゃいけないの?なんて思ったりしてた。
あっという間に36週、その日から毎週の検診が始まる日だった。いつも通り車で産婦人科に行き、いつも通り診察を待った。やっとママの番になり、先生にエコーで見てもらっている時先生の顔がいつもと違う。エコーも、いつもはサラサラとお腹を這わせ「はい、順調。赤ちゃん元気だよ。」と言われるはずが、何度も何度もお腹を這わせている。先生が、「今日は1人で病院に来ましたか?」と聞いた。ママが「はい」と答えると、「すぐにご主人に電話してきてもらって。話があるから。」と言った。何が何だかわからずパパに電話して病院に来てもらい、一緒に先生の話を聞いた。
「お腹の赤ちゃんは仮死状態です。原因は不明ですが、羊水がほぼ空っぽです。いつからこの状態か分かりませんが、この子はいま臍の緒でかろうじて息をしています。羊水がないため、筋肉の中にギュウギュウに押し込まれている状況のため今すぐお腹から出してあげなくてはいけません。今から救急車で市立病院に運びます。おそらくそのまま出産になりますが、出産後この子が自発呼吸ができるか分かりません。覚悟して下さい。」
頭が真っ白になった。目から涙がブワッと飛び出た。だって、あと1ヶ月で幸四郎は元気に生まれてくるはずだったから。ワタシのせいだ。ワタシが自分のことばかり考えて幸四郎の胎動がいつから無くなっていたのかすら分からない。だって、予定日が近くなると胎動無くなるってタマゴクラブに書いてあったよ?ウソ、ウソ、ウソ。ヤダ。そんなのヤダ。そんな子供じみた考えが頭の中を過ぎりながらママは救急車で搬送された。一刻も早くお腹から出してあげなきゃいけないからと、緊急帝王切開になった。局所麻酔をかけ、お腹を切開。痛みは全く感じないけどお腹の中を弄られている感覚があった。どれくらいの時間が経ったかわからないけど、先生が言った。「はーい。赤ちゃん出るよー」その瞬間ママと幸四郎は離れ離れになった。
「…お願い。お願い。泣いて」
「オギャーオギャーオギャー」
目の前が見えなくなるくらい涙が溢れた。幸四郎の命を感じる瞬間だった。その瞬間ママが生まれた。初めて誰かを守りたいって思った。命をかけて幸四郎を守っていくことを誓ったんだよ。
そんな日からもう20年。あと3日で幸四郎は20歳になるね。ママが守ると誓ったのに、今ではママが守られてる。でも、約束するね。これから先もママはあなたを守る。全力で人生を楽しんで!
「子供が子供を産む」そんな言葉を投げかけられたのは遠い記憶。あなたのおかげでママになれたよ。ありがとう
2003年9月17日、予定日より1ヶ月前に私はママになった。
高校を卒業して、社会人になった翌年の1月幸四郎を妊娠していることがわかった。
ママになる。なんて実感もなく、そこから会社を退職結婚し専業主婦になった。
一人暮らしもしたことがなく、慣れない家事。初めてパパと暮らし始めたその日誰がご飯作るんだろうなんて思ったりもした。
料理もしたことがないママが初めて作ったご飯は目玉焼き。朝食のような夕食をパパは美味しいって言って食べてくれたよ。
毎日が精一杯、掃除、ご飯を作ることだけでママの脳みそは手一杯。お腹にいる幸四郎が生まれてくることを心待ちにして靴下を手編みしながらゆったり過ごすなんて日々は訪れなかった。
そんなママの気持ちとは裏腹に、日に日に大きくなっていくお腹。初めはポコポコと体の中で気泡が弾けているような感覚の胎動も、気づけばお腹に足の形が浮き出るくらい強い胎動になっていった。
思えばあれは幸四郎が一生懸命、「おーい!俺はここにいるぞ!」ってママに伝えていたのかもしれない。
月一度の検診では、なんだかみんながヒソヒソママの悪口を言ってるように感じた。「随分若いわねぇ」「本当に育てられるのかしら」ってね。親戚が集まる法事では、「子供が子供産むようなもんよ。」なんて言われた。悔しくて悔しくてママは、ずっとこんなに頑張ってるのになんでそんなこと言われなくちゃいけないの?なんて思ったりしてた。
あっという間に36週、その日から毎週の検診が始まる日だった。いつも通り車で産婦人科に行き、いつも通り診察を待った。やっとママの番になり、先生にエコーで見てもらっている時先生の顔がいつもと違う。エコーも、いつもはサラサラとお腹を這わせ「はい、順調。赤ちゃん元気だよ。」と言われるはずが、何度も何度もお腹を這わせている。先生が、「今日は1人で病院に来ましたか?」と聞いた。ママが「はい」と答えると、「すぐにご主人に電話してきてもらって。話があるから。」と言った。何が何だかわからずパパに電話して病院に来てもらい、一緒に先生の話を聞いた。
「お腹の赤ちゃんは仮死状態です。原因は不明ですが、羊水がほぼ空っぽです。いつからこの状態か分かりませんが、この子はいま臍の緒でかろうじて息をしています。羊水がないため、筋肉の中にギュウギュウに押し込まれている状況のため今すぐお腹から出してあげなくてはいけません。今から救急車で市立病院に運びます。おそらくそのまま出産になりますが、出産後この子が自発呼吸ができるか分かりません。覚悟して下さい。」
頭が真っ白になった。目から涙がブワッと飛び出た。だって、あと1ヶ月で幸四郎は元気に生まれてくるはずだったから。ワタシのせいだ。ワタシが自分のことばかり考えて幸四郎の胎動がいつから無くなっていたのかすら分からない。だって、予定日が近くなると胎動無くなるってタマゴクラブに書いてあったよ?ウソ、ウソ、ウソ。ヤダ。そんなのヤダ。そんな子供じみた考えが頭の中を過ぎりながらママは救急車で搬送された。一刻も早くお腹から出してあげなきゃいけないからと、緊急帝王切開になった。局所麻酔をかけ、お腹を切開。痛みは全く感じないけどお腹の中を弄られている感覚があった。どれくらいの時間が経ったかわからないけど、先生が言った。「はーい。赤ちゃん出るよー」その瞬間ママと幸四郎は離れ離れになった。
「…お願い。お願い。泣いて」
「オギャーオギャーオギャー」
目の前が見えなくなるくらい涙が溢れた。幸四郎の命を感じる瞬間だった。その瞬間ママが生まれた。初めて誰かを守りたいって思った。命をかけて幸四郎を守っていくことを誓ったんだよ。
そんな日からもう20年。あと3日で幸四郎は20歳になるね。ママが守ると誓ったのに、今ではママが守られてる。でも、約束するね。これから先もママはあなたを守る。全力で人生を楽しんで!
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