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「私の出産」~母から子へ伝えたい言葉~

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森澤一代さん 095

「わたしたちからあなたたちへ命のバトンを繋ぐ」
生まれる時も、生まれた後も大変な事あったけれど、前向きに育ってくれたあなた。今3児の父であるあなたに、命のバトンを繋ぎます。
 

 
昭和61年12月4日、あの日からもう37年の月日が経とうとしています。もうずいぶん前の話になりましたが、あなたが生まれてきたときのこと、改めて思い出しています。
 お父さんとお母さんが結婚をしたのは、昭和61年3月16日。それから、一か月もしないうちにあなたの妊娠がわかりました。
そうなのです。あなたは、超スピードで、私たちのもとにやってきてくれました。私たちもおじいちゃんやおばあちゃんたちもびっくりしたのですが、みんなで新しい命をとても喜びました。
 それから、お腹の中では順調に過ごし、お腹の中の環境が良かったのか、予定日を過ぎても全然生まれる気配がありませんでした。
そんな日々でしたが、予定日より一週間たったころ、やっと、陣痛が来ました。微妙に感じる陣痛は7分間隔で、自分の気持ちにも余裕があり、夜中にパンをかじったりしていました。そのあと、病院へ行ったものの、まだまだ生まれる気配がないからと一旦家に帰されて、朝方陣痛が2分間隔になったことで、再び病院へ行きました。その時、助産師さんから、
「まだまだ始まったばかり」
と言われて、(えーこんなに痛いのに、まだまだなの?」と、気が遠くなりそうになったのを思い出します。
しかし、本当はここからが大変でした。実は、(こんなに痛いのに。)と思うけれども、陣痛が弱く『微弱陣痛』だったのです。そのために子宮口が開くことが出来なくて、人工的に破水をさせ陣痛を促しました。そしたら、どんどん陣痛は来るのですが、子宮口は7センチから開かず、きっと、あなたも私のお腹の中で、苦しかったと思います。
私も陣痛の痛みから意識がもうろうとなっていました。でも、あなたが生まれてくるのを楽しみに頑張っていました。
そうしたら、夕方になって38度1分の発熱。約一日陣痛に耐えたけれども、感染症の心配があるからと帝王切開に切り替わりました。
とても、残念でしたが、(もうどうにでもして、早くこの痛みから解放して)という思いでした。
意識がもうろうとなりながらも、あなたが生まれて元気な産声を聞いた時、(あーやっと生まれた。)安どの気持ちになりました。それと同時に、陣痛の長さと、睡眠不足で、私は、力尽きてしまいました。
目が覚めると、お父さんやおじいちゃんおばあちゃんたちがそばにいてくれて、もう、赤ちゃんの足跡が取られていてお父さんが見せてくれました。
生まれる時には、大変だったけれども、元気に生まれてくれてよかった。その足跡を見ながらとても嬉しい気持ちになりました。
生まれてからのあなたは、またまた、大変で、アトピー性皮膚炎があり、母乳であった私は、食事制限をしなければなりませんでした。あなたも、アトピーで痒くて眠れなかったのでしょう、夜泣きもひどくて、私は、めちゃめちゃ痩せていました。
母乳育児だったため、あなたの命や体に影響があると思うと、できた食事制限。アトピー性皮膚炎であったために、牛乳と卵を止めたことによって、私自身もお肌がつるつるになって、何もしないのに、体重が減って、とても動きやすくなっていました。
そのあと、小児喘息にもなり、あなたも小さい体で、色々な戦いをしてきましたが、いつも、ポジティブで元気いっぱい。その明るさに私はとても救われました。
ややもすれば心配性の私なのですが、あなたのその前向きな姿から、教えてもらうことがたくさんありました。ありがとうね。
あれから30年余り、今では、3児のパパとなり、子育てにも、家事にも協力的なあなた。お嫁ちゃんと一緒に協力をしあっての子育て、3人の子どもたちがとても元気ですくすく育っていることを目を細めながら横から見ています。
そして、命のバトンが私たちからあなたたちに繋がりました。これから子どもたちを明るい未来へ幸せに導きますように、パパとして頑張ってくださいね。

 

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