ゆりさん 011 [私の出産] | 第3回ぐるっとママ懸賞作文

「私の出産」~母から子へ伝えたい言葉~

第3回ぐるっとママ懸賞作文

ゆりさん 011 [私の出産]

夢を見せてもらってるからいいんだよ
母からの言葉を、私はずっと悲観的に受け止めていました。けれどあなたを産んで、その言葉は全く違う意味に変わりました。


「夢を見せてもらってるからいいんだよ」

母からの、ずっと心に残っている言葉だった。
浪人や編入を経て苦労して入学した看護大学の、その当時4年生。卒業を前に精神科への入院が決まり、留年することも同時に決まった。その事を伝えた時の母の言葉だ。
私はまた足踏みをすることになる。母の言葉は優しかったけれど、私はたぶん母に夢を見せることができなさそうだ。
自責の念で、その時はいっぱいだった。

娘の妊娠がわかったのは、大学卒業後に就職した病院を辞めて家で塞ぎ込んで何年も過ごしていた時だった。
家での私の様子を見てきた両親は出産に反対したが、妊娠発覚に時間がかかり、もう人間の形をしているエコー写真の赤ちゃんを産まない選択は私にも恋人にもなく、反対を押してすぐに結婚した。

結婚前の寝たきりのような状態だった私を知る家族から、産後は保育園に入園できる時期になったら診断書をもらってすぐに預けよう。なんて話がでていたが、気づけば一時保育の利用だけで娘は3歳になった。

しかし毎日元気なお母さんにはなれず、ベッドで横になって1日を過ごす日も珍しくなかった。
そんな日は、娘がおもちゃの注射器や聴診器を持ってきて、「どこが痛いですかー」「ちっくんしますねー」とお医者さんごっこが始まるのが恒例になった。

動けない日が連日続くと、今はお医者さんごっこでも、私はこの先、娘をヤングケアラーにしてしまうのかな。そんなぼんやりとした不安が頭をよぎっていた。

そんな日々のなかで、私は精神疾患を持ちながら子育てをする両親向けのコミュニティと出会った。そこでは月に1回、zoomを使用して参加者同士で交流会が行われていた。見つけてすぐに参加の申請をした。

交流会のなかでは、精神疾患持ちの子育てならではの不安や悩みが共有されていた。

交流会の最後に、子育てのなかで、楽しいと思う瞬間はどんな時か、1人づつ発表することになった。どうしようどんなことを話そうと思っているうちに自分の番が来てしまった。
自然と口からでる言葉に任せよう。私はzoomのマイクをONにした。

「私は小さい頃から人見知りで、初めて会う人は苦手だし自分から友達を作れる子どもではありませんでした。新しい場所も、新しい事に挑戦することも苦手です。そんな私に対して娘は初めて会う人とも自分からどんどん話してすぐ友達になります。新しい場所も新たな挑戦にもとても積極的です。この子はどこに行ってもうまくやれる。この先どんな大人になるのか楽しみだと思う時、子育ては楽しいと感じます。」
私は一息に話してマイクをOFFにした。

自分の交流会での言葉から、私はかつての母の「夢を見せてもらってるからいいんだよ」という言葉を思い出していた。
夢というのは、私が看護師として立派に働くことだと思っていたが、それは違うのかもしれない。
大学に進学する、看護師の資格を取る・・・母が自分の人生では通らなかった道を、娘を通して見せてもらってるからいいんだよ。という意味だったのかもしれない。
人見知りで引っ込み思案だった自分が通らなかった道を、娘が今、私に見せてくれているように。そう思った瞬間、大学4年生の時の自分の前に、娘が現れたような気がした。母に私は夢を見せられないと泣く私に、娘が手を伸ばしてくれた。「お母さんに夢(自分では通らなかった道)を、私が見せてあげるよ。」と、笑ってくれているような気がした。

過去の自分が、時を経て突然救われることがあるんだ。そう娘が教えてくれた。


娘は今年4歳になって、幼稚園に入園した。
「幼稚園行きたくないー!」今朝も娘との押し問答が始まった。

私から産まれたんだよね?と時々聞きたくなるくらい天真爛漫で元気元気な娘。今日も幼稚園で思いっきり走って踊って歌っているのかな。
そんなあなたが見せてくれる夢が、お母さんは心から楽しみでしょうがないです。

お母さんに夢を見せてくれてありがとう。

 
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